2008年 06月 06日

「市場原理主義批判」への批判

あちこちで市場原理主義への批判を耳にする。多くは誤解と偏見に基づくものだ。
(日本経済新聞 2008年6月5日19面 大機小機)
【CFOならこう読む】
コラムは「市場原理主義批判」への批判を簡潔かつ的確に行っています。
「批判」への批判は次の3点です。

第一、
市場原理主義批判者は、市場メカニズムだけですべてを律することはできないと言う。しかしどんな市場原理信奉者でも、市場の失敗は認めており、公的な介入の必要性を認識している。市場原理を重視する人たちは、公的な介入を本当に必要な分野に限定すべきだと言っているだけだ。

第二、
市場原理主義者の主張する政策によって格差が広がったという批判がある。仮にそれが正しいとしても、市場原理をいたした政策を放棄する理由にはならない。市場原理をいかす政策は、供給面を効率化して経済的なパイを拡大することによって国民福祉を高めることを意図している。そのパイの配分が公正でないと判断されるなら、税制などによる再分配政策で対応するしかない。経済の効率化と公平な分配という2つの目標を達成するには2つの政策が必要だ。

第三、
アングロ・サクソン型の市場原理は日本の伝統的社会理念や日本人の価値観に合わないという批判もある。しかし市場と組織、自由と規制、民間と政府の役割を組み合わせて制度を設計していく選択肢は多様にあり、すべてアングロ・サクソン型の経済社会になるわけではない。

但し第二の批判には注意が必要です。市場原理主義は自由主義と結びつきますが、自由主義と”公平な分配”というような平等主義とは真っ向から対立することがあるのです。この点ミルトン・フリードマンは「資本主義と自由」で次のように述べています。
「自由主義思想の根本にあるのは、個人の尊重である。自由主義では、各自が自分の考えに従ってその能力と機会を最大限に生かす自由を尊重し、このとき、他人が同じことをする自由を阻害しないことだけを条件とする。このことは、ある点では平等を、ある点では不平等を支持することを意味する。人は等しく自由権を持っている。
この権利がきわめて重要な基本的権利なのは、人間が一人ひとりみな違うからであり、自分の自由でもって人と違うことをしようとするからだ。そして人と違うことをする過程で、大勢が暮らす社会のあり方に、一層多くの貢献をする可能性がある。

だから自由主義者は、権利の 平等・機会の平等と、物質的平等・結果の平等との間に厳然と一線を引く。自由な社会が他の社会より多くの物質的平等をもたらすのはよろこばしいことではあるが、自由主義者にとってそれはあくまで自由社会の副産物であって、自由主義を正当化するものではない。自由と平等を促進するような政策、たとえば独占を排除して市場機能を強化するような政策こそ、自由主義者にとって好ましい。不運な人々を助けるための慈善活動は、自由の生かし方として自由主義者にとって望ましい。貧困をなくすための政府の事業も、多くの市民にとっての共通目標を達成する効率的な手段として、自由主義者は是認するだろうーただし、自発的な行動ではなく政府による強制に委ねることを残念に思いながら。

ここまでは平等主義者も同じであろう。だが、平等主義者はさらに一歩を踏み出そうとする。彼らが「誰かから取り上げて別の誰かにあげる」ことを認めるのは、目標を達成するための効率的な手段だからではなく、「正義」だからなのだ。この点に立ち至ったとき、平等は自由と真っ向から対立する。ここでは平等か自由のどちらかしか選べない。この意味で平等主義者であると同時に自由主義者であることはできないのである。」(ミルトン・フリードマンは「資本主義と自由」日経BP)
今、日本は平等主義から自由主義へ向かおうとしています。市場原理主義への批判はこの大きな流れに対するアンチテーゼなのです。ならば市場原理主義者は、”平等”ではなく”自由”を選択するとはっきり主張しなければ議論が先に進まない、と私はこのコラムを読んで思いました。

【リンク】
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村井 章子

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by yasukiyoshi | 2008-06-06 10:17 | コーポレートガバナンス


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